| 箱根に紫陽花を求めて
六月下旬、梅雨の合間の晴れたある日……。
僕は今、箱根登山鉄道の電車に乗っている。
この鉄道は、日本で唯一の本格的山岳鉄道である。梅雨の季節には沿線が紫陽花で彩られて、車窓には鮮やかな群生が映る。
数日前、僕は彼女とけんかをしてしまった。
原因は彼女のわがままだった。しかし、僕も大人げなかったかな、と思って少し反省していた。そんなときに思い立ってこの登山鉄道に乗ったのだった。
六月生まれの彼女は紫陽花の花が大好きだった。
だからこの登山鉄道にも彼女と二人で何回か乗って、窓から眺める、艶めく箱根の紫陽花を楽しんだものだった。
「紫陽花の花言葉は『移り気』なの」
以前彼女は僕にそう教えてくれた。
その花言葉はあまりいいイメージではないので、僕はなぜ彼女が紫陽花を好むのか、いつも疑問だった。
しかし、こうして一人で車窓から紫陽花の花を見ていると、その美しさを改めて知ることができた。微妙に移り変わる色調、群生する花びらの鮮やかさ、そして淡いコントラスト……。
僕は途中、『あじさいの小径』があるという大平台駅で降りて間近で紫陽花を見てみた。さらに塔ノ沢駅から徒歩で阿弥陀寺まで行ってみた。
「阿弥陀寺は『紫陽花寺』と呼ばれるほどの名所なのよ」
彼女がそう言っていたのを思い出したからだった。
阿弥陀寺に着いて、喧騒を忘れる静寂の中で紫陽花を見ていると、ふと僕の心の中で、なぜ彼女がこの花を好むのか、少しわかったような気がした。
時間はあっという間に流れ、夕闇に包まれた頃に帰路の車窓を眺めていると、そこには昼間とは違った表情の紫陽花の姿があった。ライトアップされた紫陽花は美しく、艶やかであり、そして可憐でもあった。
列車の中に目を戻すと、若いカップルの姿を見ることができた。彼らは車窓から紫陽花を見ながら何やら話をしていた。
その姿を見ていた僕は、また一つ、彼女の言葉を思い出した。
「紫陽花は長く咲き続けるから、『辛抱強い愛』という意味もあるのよ」
同時に彼女の優しい笑顔を思い出した僕の表情は、自然に微笑に変わっていた。
家に帰った僕は、彼女にその日撮影した紫陽花の写真を送った。
「ありがとう。今度美味しいものでもご馳走するからね」
それが彼女からの返事であり、仲直りのときのいつもの言葉だった。
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