| 隅田川の恩返し
「隅田川の川下りに行こうか」
幼なじみの祐子が失恋したことを聞いた僕は、彼女を隅田川の水上バスに誘った。
僕と祐子は小、中、高校と同級生で、大学時代はそれぞれ別なところで過ごしたが、卒業後は偶然にも同じ会社に就職した。入社式の日にばったりと出会ってお互いに驚いた。ただ、実際職場では部署が違っていたので、顔を合わせることもほとんどなかった。
「よっちゃんがデートに誘ってくれるなんて、珍しいこともあるもんね。きっと雨が降るわよ」
祐子は笑いながら僕の誘いを受け入れてくれた。
僕の名前が良彦だから、祐子は昔から僕のことを『よっちゃん』と呼ぶ。
当日は澄み切った青空が広がった、とても爽やかな晴天だった。
僕たち二人を乗せた水上バスは、かき分ける水の音とエンジン音が混ざり合いながら、ゆっくりと隅田川を下っていく。
「よっちゃんと一緒に水上バスに乗るなんて、高校生の時以来ね」
心地よい川風を浴びながら、祐子は微笑みながら話しかけてきた。
高校生の時にも僕は祐子を誘って隅田川の水上バスに乗ったことがあった。しかし、水上バスに乗ったのは後にも先にもその一度だけ、だから今回が二回目のことだった。
水上バスは隅田川にかかる橋を次々にくぐりながら進んでいく。
「両国橋、新大橋、清洲橋、隅田大橋……あのときよっちゃんは私に隅田川にかかっている橋の名前をひとつひとつ教えてくれたわよね。私、東京に住んでいるのにほとんど知らなかったのよね。それでよっちゃんに笑われたね」
僕は祐子のそんな言葉を黙って聞きながら、同じように昔のことを思い出していた。
高校生のあの時、祐子は大好きだったおばあちゃんを亡くしてひどく落ち込んでいた。その悲しみを和らげてやろうと、僕は祐子を隅田川の川下りに誘ったのだった。
陽光が勢いを弱めるころ、隅田川を下る、僕たち二人の小さな旅は終わった。
水上バスから降りた後、僕は祐子を食事に誘ったが、その時彼女は、
「ありがとう。でもそう言ってくれる気持ちはありがたいけど、やめておくわ。私、彼氏でもない人からご馳走してもらわないことにしてるの」
と言って丁寧に断った。
そのとき祐子に対する僕のささやかな恋心はあっけなく砕け散ってしまった。
(そう言えば高校生のあの時も、祐子は同じように僕の誘いを断っていたよな)
祐子の言葉を聞いて、僕はただ黙って微笑むだけだった。
数日後、祐子から一通の手紙が送られてきた。
どうやら祐子は僕がなぜ隅田川の川下りに誘ったのか、気がついていたようだった。そしてその手紙には二人分の水上バスの乗船券が同封されていた。
『この間は誘ってくれてありがとう。よっちゃんの優しさがとても嬉しかったわ。乗船券は私からの恩返しよ』
(祐子らしいな……)
僕は手紙を読み返しながら、祐子の優しい微笑みを思い出していた。
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