素敵な夏よ、ありがとう


ダッシュボードに置き忘れられた黒いサングラス……。
それは、僕にあの素敵な夏を思い出させてくれる。

ある夏の日々、僕は毎朝、海岸沿いを散歩していた。朝の潮風を浴びながら少し速足で歩いていると、とても心地よい気分になれた。だから僕は朝の散歩が好きだった。
そんなとき、僕の散歩するコースに、愛犬を連れた一人の女性の姿があった。
彼女は時々、海を見渡せる海岸沿いのパーキングで、遥か遠くの水平線を見つめていた。

ある時、僕は思いきって彼女に話しかけてみた。
「朝の海って、きれいですよね。僕も散歩しながら、いつも海を見てるんですよ」
すると彼女は、少し微笑んで僕に言った。
「私、こうして海を見ているといつも思うんです。あの水平線の向こうには、どんな世界があるんだろう、って」

それから僕たちは、朝の散歩以外でもときどき会うようになった。
彼女のことが少しずつ分かってきた時、僕は彼女がいつも海を見つめていた理由を知ることができた。
それは、彼女の好きだった男が、自分の夢を追いかけて海を渡って水平線の向こうの国へ行ってしまったからだった。

『優』
僕は彼女のことをそう呼んでいた。『優子』だから『優』、でも彼女はそれがあまり気に入らないようだった。
「どうして『優子』って呼んでくれないの。私は『優子』って呼ばれる方がいいのに」
「いいじゃないか、僕は『優』の方が呼びやすくて好きなんだから」

いつかドライブに行ったとき、彼女は僕の黒いサングラスをかけて、そして言った。
「ねぇ、こうすると私も少しは大人っぽく見えるかな?」
それ以来、僕の黒いサングラスは彼女のものとなった。

しかし、夏が終わりに近づく頃、彼女は僕の前から姿を消した。
彼女がどこへ行ったのかは知らない。もしかしたら好きだった彼のことが忘れられず、彼のいる水平線の向こうにある国へ渡ったのかもしれない。
ただ、あの海岸沿いのパーキングの、彼女がいつも水平線を見ていた場所のアスファルトには、『ありがとう 優子』と書かれた白い文字が残されていた。

そして月日は流れ……。
僕が海岸沿いのパーキングで海を見つめていると、彼女がやってきた。
「こんにちは。ねぇ、今日はこれからどこへ連れて行ってくれるの?」
「そうだな……」僕は相変わらず海を見つめながらしばらく考えていたが、やがて彼女に言った。
「優、食事でもするか?」
「いいわね、行きましょう! でもどうしてあなたはいつも私のことを『優』って呼ぶの?」
彼女の名前は『優美』。あの夏の日に出会った彼女とは、名前だけではなく、どこか似ているところがある……僕はそんなふうに感じていた。

      

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