坂の上の三〇三号室


海の見える坂道のある街……。
その坂道を上りきったところに、僕が住んでいるアパートがある。
鉄筋コンクリート造の三階建で、その三階の三〇三号室が僕の部屋だった。

僕の部屋のベランダにはいつもきれいな鉢植えの花が飾られていた。
その花は、いつも彼女が届けてくれているものだった。
彼女は坂道の下に住んでおり、趣味でいろいろな花を育てていた。
そして、ときどきその花を持って坂道を上って、僕のアパートに届けてくれた。

僕はそのお返しに、僕が持っている音楽CDをプレゼントしていた。
ポップス、ロック、バラード、ジャズ……僕はいろいろなジャンルの音楽CDを持っていたが、その中で彼女はいつも、スローバラードのCDを好んでいた。

「どうしていつもバラードのCDばかり好んで選ぶの?」
僕はいつか彼女にそう尋ねたことがあったが、それに対して彼女は、
「花にも音楽を聴かせたいんです。花も生き物ですから、優しい音楽を聴かせれば優しく育ってくれるんですよ。だからいつもバラードのCDを頂いています」
と答えてくれた。

そんなある日、僕は人事異動で遠い北の街に転勤することとなった。
住み慣れたこの街から出ていくことも残念だったが、それ以上に彼女との別れが辛かった。
本音を言えば、彼女に一緒について来て欲しかったが、僕はそのことを彼女に言えなかった。
なぜならば、彼女はこの街が大好きだったからだ。

「もうこの街には帰ってこられないんですか?」
転勤の話を告げたとき、彼女は寂しそうな表情で僕に尋ねた。
「二年か三年か、もしかしたらそれ以上になるかもしれないが、いつか必ずこの街に帰ってくるよ」
僕は自分自身にも言い聞かせるように、彼女にそう答えた。
そして、僕が持っていたバラードのCDをすべて彼女に手渡した。

それから三年後、僕はその街に帰ってきた。
帰ってきてまず最初に僕は、以前住んでいたアパートに行ってみた。
僕が暮らしていたあの三〇三号室はどうなっているんだろう、そんな懐かしさを感じたからだった。

しかし、そのアパートに着いて三〇三号室の部屋を見たとき、僕は驚いた。
その三〇三号室のベランダは、僕が住んでいたときと同じように、きれいな鉢植えの花で飾られていたからだった。

ちょうどその時、そのベランダに一人の女性が現れた。彼女だった。
それを見た僕は心の中でつぶやいた。
(彼女、僕が帰ってくるのを三〇三号室の部屋で待っててくれたんだ……)

彼女は突然帰ってきた僕の姿を見て驚いたようだったが、やがて優しい笑顔に戻って、僕に向かって軽く会釈をした。
それを見た僕は、彼女に向かって大きな声で言った。
「ただいま!」

 

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